不肖 藁科豊(わらしなゆたか)の"お気楽隠居生活"を面白・可笑しく、そして悲しく・侘しく綴る BLOG をどうぞ …

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64′ PONTIAC GTO

64′ PONTIAC GTO

ヤフオク落札品 落札日 2018/07/08
落札価格:1,700円
送料:1,080円(ゆうパック)
総額:2,780円

1971年式The Judge

* “1964 GTO” では画像も資料もあまり見当たりませんでしたので、道楽親父の勝手な判断で … 「The Judge」というのに似ていないこともありませんが・なんとも言えません。もっと調べてみますね。

1971 PONTIAC GTO

1971年式。ボンネット前端に移動したエアスクープ、グリル全体が鼻のように突き出したフロントマスクがこの年式の特徴

1971年式The Judge。一時代を築いたジャッジもこの年式が最後となった。
1971年式はこの世代最後の大掛かりなフェイスリフトを受けた。従来のフロントグリルの上にもう一層ワイヤーメッシュタイプのグリルが追加され、グリルの両側に水平バンパーバーが装着された。横二連ヘッドランプはより間隔を詰められ、エアスクープはボンネット前方のフロントグリルの直上付近に移設され、従来のエンデューラバンパーデザインとは全く異なる新しいものに変更された。こうした変更により1970年式に比べてグリルのみが前方に突き出したような外観となり、全長は僅かに増加して516cmとなった。

既に1960年代中期頃から世界的に始まっていた排ガス規制の潮流は遂にアメリカ車にも押し寄せてきて、GTOもパワートレインに大きな変革を受けた。GM本社からのガソリン無鉛化計画推進勅令により、有鉛ガソリンの利用を強く意識した高圧縮比はもはや使用できなくなった。そして高出力の象徴であったラムエアーIII/IVもこの年式では遂に選択できなくなった。400立方インチエンジンはスタンダードのみとなり、圧縮比は8.2:1まで落とされて馬力は300馬力/4800rpm、トルクは55.3kg-m/3600rpmと大きく力を落とす事となった。エンジンオプションは2種類となり、一つは前年の旧455 HO(D型ポート仕様)に準じたシリンダーヘッドに8.4:1の低圧縮比のピストンと4バレルキャブレターが組み合わされ、325馬力/4400rpm、62.9kg-m/3200rpmを発揮する455立方インチエンジンであり、変速機は3速ATのみで利用できた。もう一つはこの年式のGTOの最高級のエンジンである新型455 HOエンジンである。この年式の455 HOは丸形ポートを採用した高出力型であったが圧縮比は標準型と同じく8.4:1で、出力は335馬力/4400rpm、61.5kg-m/3200rpmと馬力は若干向上したがトルクはやや劣る物であった。変速機の構成は前年から変化はなかった。

また、この年度からの大きな変化はカタログ表記のエンジン出力が、年度中途から従来のグロス表記からネット表記への移行が行われた事である。日本では1987年を境に行われ、市場を少なからず混乱させたものであるが、17年先行して実施されたアメリカにおいても例外ではなかった。例えばグロス表記値である上記の出力表記は、ネット表記に直すと400スタンダードは225馬力/4400rpm、47.0kg-m/3200rpm、455標準は250馬力/4000rpm、52.5kg-m/2800rpm。455 HOは標準と同じ250馬力/4000rpm、52.5kg-m/2800rpmとなってしまう。これは単に表記の違いによるものであり、同時期の昭和48年排出ガス規制で大きく出力を落とした日本国内仕様の日本車のように実出力そのものが低下している訳ではない。実際に1971年式のロードテストを実施したモータートレンド誌のデータ上は、455標準エンジンに4速MT、最終減速比3.90を選択し、1/4マイル13.4秒、最終地点速度102マイル(164km/h)を計測、0-60マイル加速は6.1秒であり、前年式の455 HO 4速MT仕様よりも全ての計測値が上回っている。この表記法の変更はエンジンの出力により保険金額の加重変化を行う当時の自動車保険行政に対抗する為の苦肉の策[7]でもあったが、消費者には1971年以降のアメリカ車は牙を抜かれたかのように低出力となったという印象を持たれてしまう一因ともなる、文字通りの両刃の剣でもあった。

1971年式はジャッジ・オプションが設定された最後の年度でもあった。ジャッジは455 HOエンジンのみが設定され、1971年2月に販売中止されるまでに僅かに374台が販売された。そのうち17台は(前年度のラムエアーIVジャッジコンバーチブルという限定された条件を除けば)GTO全年式中で最も稀少なコンバーチブルとなった。最終的にこの年度で10,532台が販売された。厳しすぎる保険行政、出力表記変更、そして強化され続ける排ガス規制と様々なマイナス条件の中では最早かつてのような販売台数の回復は極めて難しいものであった。

* モデルの元箱(童友社)には”The 1964″となっているが、実際にはこのモデルは”1971年式”が正解です。

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